今日は阪神淡路大震災が起きた日でしたね…。
こんなツイートをしました。
「阪神淡路大震災のことを考えて祈る。東日本大震災じゃなく、東北の震災、と言われると悲しくなる茨城のみなさんのように、私が阪神大震災と言った時淡路の方は悲しかったんだろうかと悲しく反省しています。 」
これは、東日本大震災直後に気づいてずっとずっと思い続け、反省し続けていたことだったのですが、今日はどうしてもこのことをどこかに告白して懺悔したくなり、ツイートしました。ツイートすると何だか軽く見えそうで、書くのをためらいもしたのですが、どこかに必ず書きたかったので書きました。無知は嫌ですね。かといって人間、世の中に巻き起こる全てのことについて真実を知ったり、知った上での見地を持つなんて無理なわけで、知らないことがいっぱいの世の中で生きていかなきゃいけないわけで。せめて間違いに気づいたら正さなくては…などと色々考えたりしました。
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続いてこんなツイートもしました。
「四月の出来事を思い出す。ニューヨークでパン屋に入ったら日本の為にと募金活動をしてくれていた。ありがとうとお礼を言ったら店員さんがハイチ出身だった。この話は今度ブログに書かなければ。」
この話を、日付が1/17の間に書こうと思います。いい話と、涙でちゃう話(ちょっと悲しくなるかもな話)が混在しているので、すぐ泣いちゃう私みたいな方は気をつけてね…。
去年の4月、私はNYに居ました。
震災〜その時の話までです。
書きたかった話は、パン屋さんでの話で、それは最後に出てくるのですが、せっかくなので4/4のイベントの話、またその準備の話などにも触れます。
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震災の直後、スカイプを使って私はNYに電話した。NYで、絶対みんな心配しているだろうと思ったから。そうしたらやっぱり、ジョン・モスカも、ダグラス・パーヴァイアンスもめちゃくちゃ心配をしていて、私はそれぞれに電話をかけたんだけど、ふたりともそれぞれ物凄く真剣な声で「良かった、電話してくれてよかった。とにかく無事でよかった」と言ってくれた。(他のVJOメンバーも、VJOのサブ(代理演奏)をいつもしていて、正式メンバーじゃないから日本ツアーには来たことがないバリトン・サックスのフランク・バジールや、サックスのラルフ・ララマーの奥さんまで、本当に色んなNYの知り合いや、NYで知り合った全世界の知り合いがメールをくれたことを書き加えておきたい。)
ダグラスは、いつもアホみたいに忙しい人で、誰かとぺちゃぺちゃ喋ったりするヒマは無いはずの人なのに、私が周囲も皆落ち込んでいて、誰と話してもつらそうだと言ったら、辛かったらいつでも自分に電話するといい、僕も辛いけど、励ますくらいなら出来るし、少しは明るい声で話せるから、と、私が辛い時の逃げ場になることを引き受けてくれた。
それで私は本当にほんとの直後の辛い時、ダグラスに電話を掛けて、つらいよ、こわいよ、家族とまだ連絡がとれないよ、心配だよ、と泣きながらと愚痴を言っていた。(私の家族は茨城に住んでいて、電気が通るまでに時間がかかったので、しばらく声を直接聞くことができなかった。)
そういうことを続けて3日目くらいに、今度はダグラスの方からスカイプで連絡が来た。
「Guess what?」(何だか当ててご覧!)とダグラスは真剣だけれども嬉しそうな声で言った。
「今日、ジョン・モスカから電話が掛かってきてVJOが中心になってNYのジャズミュージシャンを集めて、日本を支援するためのチャリティーライブをやろう!やらなきゃ!と決めたよ。これから頑張って準備するから!」と言う。
結果、このイベントはこういう形になって4月4日にNYで行われ、参加ミュージシャンは合計30名にも及んだ。
イベント Thank you Japanのページ。
このイベントは準備が本当に大変だった。せっかくだからたくさんの寄付を集めたい。でも、お金だけでなく、日本の皆さんの心が元気になるようなお手伝いがしたいから、だから音楽も届けたい。そうだ!USTREAM中継だ!ということになり、
・イベントの本体の準備 ・参加ミュージシャンへの連絡 ・寄付金集め ・寄付金を一時的にプールしておくための経理処理 ・USTREAM中継をするための関係機関への権利関係の承諾をいただく手続きetc, etc…
NYで活躍する写真家の常盤武彦さんに多大なるご尽力を頂けることになり、なんとかイベントが実施出来るところまでは漕ぎ着けたが、準備が本当に大変すぎて、3月20日ごろには、二人のリーダーはもう何だか瀕死になってきている感じがして、私は急遽、知人の皆さまに資金援助をしていただき、このイベントを手伝うためにNYへ渡ることにしたのだった。
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4月4日のイベントは、大成功だった。
どんな風に「成功」だったのかというと、
・USTREAM中継を、平日の昼間だったにも関わらず、たくさんの方が見てくださって、そして感動して、喜んでくださった。あの頃は、私たちの心はまだ本当に疲れていたから、たくさんの方が涙を流して、涙を流せたことで感情を開放できたと言ってくれた。
・Village Vanguardは大入り満員だった。3セット入れ替えだったのだけれども、3セット全部にたくさんの”日本人以外の方”が来て下さった。私たちは、NYに住む日本人ばかりになるのではないかと少し怖かったので、この結果には本当にびっくりした。私は着物を来て、号泣しながら一生懸命スピーチをしたんだけれども、会場からはがんばれ!応援しているから!あなたの国は大丈夫よ!と常に声援が飛んできたし、会場で凄くたくさんの方に声をかけられた。これらの皆さんの入場料+プラスアルファの金額が募金として集まった。
・当日は演奏をしてくれたミュージシャン以外にも、たくさんのジャズミュージシャンが会場に足をはこんでくれた。参加した方が中心になったのか、みんなが噂を広めてくれたのかは分からないが、とにかくこのイベントがNYジャズ界で中心となるヴィレッジ・ヴァンガードで行われたことは非常に重大で、このことが大きな大きなムーブメントを引き起こし、たくさんのジャズミュージシャンに「日本のために何かしたい」と思っていただくきっかけになったそうだ。
実は、大成功のその影で、準備は本当に大変だった。リーダー達と常盤武彦さんはなんとPM4時入り。イベントが全部終わったのは2時ごろで、家に着いたら2時半か3時だったような…。
リーダーの一人John Moscaは私と一緒にタクシーで帰ったから同じくらいの時間に着いたはずなのに、翌朝9時から授業をしていたらしい…なんて忙しさ!!!ダグラスの方はというと、体調を崩して一日寝こんでしまった。
実は私も同じく、イベント終了後、寝こんでしまった。せっかくNYにいるのに、あまり出かける元気がない。。。たしかイベントが終わって3日くらいしてから帰る予定にしていたのに、ほとんど出歩く元気がなく、ただアパートで料理して(しかも日本食)あとは、寝て、日本に思いを馳せて過ごしていたが
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最後の最後の「明日、もう帰る」という日になって、やっぱり勿体ないから外出しよう!と決めて、私は、ちょっと遠くのAmy's breadまで足を伸ばしてブランチを食べることにした。
いつものAmy's なのに、その日は外に出てる黒板に、なんかいつもと違うことが書いてある?
んんん???と思って近づいてみたら、あれ?日本の国旗!
なんと、私のお気に入りのパン屋さんAmy'sが…(そんなに大きいパン屋さんチェーンとかじゃないのに、多分、自分たちでやろうって決めてくれたみたいで、小規模なのに頑張っている感じで)
「今日一日の売上の一部を日本へ寄付します!」というキャンペーンをやってくれていたのだ!
私はイベントの直後で、感受性豊かになってしまっていたから、その黒板を見ただけで泣きそうで、狭い店内に行列しながら、ああ、どうしよう、ここで号泣とかしたら超恥ずかしいけど、だめだ、泣いちゃいそうだ、どうしよう…とずっと考えていた。
接客に来てくれたのは、以前も接客してくれたことのある、ちょっと色黒でキュートなくるくるパーマの女の子だった。私は、キッシュと…コーヒーと…と普通に注文したあと、Anything else?と聞かれたのに答えず、意を決して「あの、わたし、日本から来たんだけど、このキャンペーン、ありがとう。」と言った。
やっとの事で言って、なんというか、もう泣きそうで、それを堪えるのでいっぱいいっぱいだった。「私、日本でジャズミュージシャンをしていて、NYの友達がチャリティーしてくれたからそのために日本から来たんだけど、疲れちゃってずっと寝てて、でも明日帰国するから、Amysのパン食べようと思って寄ったの。そしたらこれやってくれてて、私、寄れてよかった、ありがとう…。」と。
そうしたら、何とその、私の接客をしてくれた子は、ハイチ出身だったのだ。
ハイチ地震について
「あなたの気持ち分かるわ!私、ハイチ出身なの!」とその子は明るく言った!
その言い方があまりにも明るくて、私はびっくりして、えっ!!ほんと!!!!???と答えるのがやっとだった。彼女はてきぱきと他のお客さんをさばきながら言ってくれた。
「ハイチも大変だったけど、だいたい2年で何とかなってきた。あなたの国は、私の国なんかよりよっぽどグレイトな国だから、もっと早く立ち直ってくるはず。時間はかかるけど、大丈夫よ。あなたの国みたいな素晴らしい国が、潰れたままになるなんてことないわ。」
彼女の言い方は確信に満ちていて、私は、ありがとう、本当にありがとうね。と言って列を離れた。次に続いているお客さんを待たせたくなかったし、あまり彼女の前で泣いている姿を見せたくないな、となんとなく思ったのだ。
店内には黒板以外にポスターも貼ってあった。そこには、Amysの全店舗で、この日一日だけだけどこのキャンペーンをやりますからよろしくね、と書いてあった。(だからこの日、とても混んでいたのかもしれない。)
私はポスターを見上げて、じっと、店内に立ち尽くしてしまって、しばらくそこで何とか涙を目に引っ込めようと努力をしていた。
すると、私のことを色の白い美人が見つめていることに気づいたので、あっ、わたしね、日本の東京から来たの。これ、やってくれているの、嬉しくて。。。と、ポスターを見ていた理由を言ってみた。すると何とその美人は今度は、それは大変ね、原発のことが大変でしょう・・・私はウクライナの近くから来たのよ、と言う。
チェルノブイリ原発事故
私は、困ってしまった。もう泣くのを止められなくなってしまったからだ。
「えっ?!」
と言ったまま私は、その場でぽろぽろ泣き出してしまったので、その美女は慌ててしまって、泣かせてしまってごめんなさい、何か思い出しちゃったかしら、ごめんね…泣かせるつもりはなかったんだけれども…とたくさん謝ってくれた。
イートインスペースの数少ない椅子を陣取って座り込んで、私は彼女の話を聴いた。
彼女はダンサーをしていて、ウクライナの近くから来たので、原発事故で大変な思いをした知り合いがたくさんいるのだという。彼女がウクライナの近くから、という話がショックで、私は彼女がどんなふうに私を励ましてくれたのか、よく覚えていない。でも彼女はとにかく、分かるわ。心配なのがよく分かるわ。泣いてもいいのよ、泣くしか無いときもあるのよ、というようなことをしきりに言ってくれた。金髪で眼の色が薄い、とても美しい女性だった。ダンサーとしてきっと活躍しているんだろうなあと思った。私は始めて会った相手とは思えないほど、その場で心を開いて、彼女に、「ふるさとが心配で…」という話をしたのだった。
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私はこの後思ったのだ。
私はチェルノブイリの事故の時、はたして、被害に合った方たちを助けなきゃ、助けあわなきゃ、なんてちょっとでも思ったか。
ハイチの地震の時、ちょっとでも募金活動に協力したか。
私は何もしていない。何かしたとしても本当にちょっとしかしていない。
そのことに気づき、恥ずかしくなったり、悲しくなったり、自分はなんて駄目なんだと自分を責めたり、色んな気持ちになったが、巡り巡って今は、ちょっとでも自分に出来ることがないか、いつもそれを探せるようなスタンスでいよう、と前向きに思っている。
今日はニュースで震災で大事な人を亡くしたんだろうなと思われる方々の涙をたくさん見て、辛かった。何が出来るんだろうなあ自分に。出来ることは少ないけれども、いっぽいっぽ、だな…。
(そのいっぽの1つとしてこの体験をシェアしようと思いました。長く書きすぎて、日付変更線を超えてしまいましたが、17日の日付でpostしておこうと思います)