いよいよ4月になっちゃいましたね、おめでとう新社会人!
素晴らしく凄まじい毎日が、多分あなたを待っていますよ☆たのしいよ、仕事するって!
4月1日を記念して
なかなか書けなかった話を、今日はちょろっとだけ書こうと思います。
リクルートの先輩方のことです。
本当に大事に思っていることというのは、なかなか言えないものです。
私もこれを、どこかにペロッと書いたり話してしまうのは違う気がして
これまでぜんぜん、どこにも書けませんでしたし、あまり話してきませんでした!
フェイスブックってすごいメディアですね。
これのおかげでR(とリクルートのことを以下で呼びますね)の先輩たちや同期とたくさん繋がることができました。驚いています。
入社式の日、私はものすごく誇らしい気持ちで会社のドアをくぐりました。
だって、すごくおもしろい会社だと確信していたから。
わたしは就職活動の途中からOBOG訪問って物凄く面白いということに気づいたのですが
特にリクルートの社員の方にお会いすると、めっちゃくちゃ話が面白くて
頭がよくて、私がヘンなことを言うとズバッと愛を持って指摘して直してくれたりして
出会いたいような人々がたくさん集っている会社なのじゃないか!という確信があって
それでリクルートをしつこく受けて受かったわけです。
以下、当時の話に入ります。
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そんなわけだから、入社のその日は、とても誇らしかった。
田舎者の私は、会社の住所が「中央区銀座」ってだけでなんだかカッコイイ気がした。
エントランスの大理石の床がぴかぴかしているG8というビルに集められて、社長の話を聞いて、社長の話はなんだか全く面白くなかったけれども、鳥になれ、鳥になるな、という訳の分からないタイトルだけ今でも覚えている。で、こういうスピーチをする人になるのはやめようと思った(笑)。
思えば、リクルートで出会った方々で、話がヘタだったのはその最初の社長だけだった気がする。
面白い人ばかりだったな!
でも、今思えばそうだ、というだけで、当時の私にはそんな余裕はなかった。
1年生の時の私のことは、実は思い出したくもない。
物凄く仕事ができなくて、先輩たちに本当に迷惑を掛けたからだ。
今思い出しても、本当に申し訳なくて涙が出てしまう。
出来ることなら、あの時期にもどってあの日々を消しゴムで消したい。
でもそれが出来ないのが、悔しいかな、人生だ。
たくさん迷惑をかけた。
あーあ。本当に思いだすと泣いてしまう。
というか、当時もいつも泣いていた。
迷惑なガキだよなあ。
まじめで一生懸命だけれども、出来ない。
いいやつなので、出来ないと、申し訳なく思う。
で、泣く。
でもその次に、出来るわけではなく、また失敗する。
で、仕方ないので叱ると、また泣く…。
最低だ。
いつも涙が止まらなくなると、申し訳ないので、トイレに駆けこんで泣いていた。そうすると、となりの島(私がいたころのRでは、となりの机の固まりのことを島、と呼んでいた。今はどうなんだろう?)から優秀な庶務さんのお姉さんたちが走ってきてくれて、よしよし、かわいそうに、と言ってくれた。直属の先輩たちには申し訳なくて言えないような、自分が仕事が出来なくて本当に辛くて申し訳ないと思っている、ということを、いつも庶務さんのお姉さんたちに聞いてもらっていた。
しばらくして、マネージャー自ら毎日私の仕事をチェックしてくださるようになった。朝と帰る前、必ず業務の進捗や状況をチェックしてくださる。
その時の、仕事を紙を四分割して整理整頓して翌日につなげる方法は、今の私の仕事整理術の根幹になっている。
そんな丁寧なケアをしていただいて、半年がたって9月になった。
それでも何と私は、仕事が出来なかった。
(最低すぎる。本当に思い出したくないけれども、振り返りを続けようと思う。)
なので、普通は教育担当がいなくなる9月になっても、まだ私には教育担当がついてくださることになり、しかも、私があまりにできないせいで、私の教育を担当してくださる先輩が変わってしまった。
ずっと後になって、その時、先輩たちがどんな会話をしたか、なんて話を聞きかじったのだけれど、
みぎわは私が引き受けますと、何人の先輩かが言ってくださったのだそうだ。ものにして見せます!と言ってくださったという。
この時、責任をもって引き取りますと言ってくださる方がひとりもいなかったら、今の私はどうなっていたんだろう。。。この時の先輩方の姿勢「引き受けて、ものになるまで面倒を見る」という姿勢は、今の私の「教育観」のベースを作っている。親から子へ、という形とは別の教育のありかた。はじめて出会った者同士でも、関係を作り上げ、誰かが、誰かを引き受けて「自分のこと」として責任を持つ。そういうことの重大さや素晴らしさを学んだ。
ここまで書いてきたことを、最近私と出会った皆さんは、信じないかもしれない。
私は今では、タスク管理もちゃんと出来るし、仕事もちゃんとやってるように見える。コンテストの審査員までしているし、日本のあちこちへ飛んでいって、レッスンをしたりしている。みんなから尊敬してもらったり好きになってもらったりしながら「教育者」や「演奏家」や「作曲家」をしている。社会に貢献もしているし、大きな仕事もやれるようになったし、問題解決も出来るようになった。
だけど私は最初からこうだったわけじゃない。
ものすごい数の失敗をして、ものすごい数の先輩たちに迷惑を掛けて、謝って、反省して、でも辛くて、二度と失敗したくないと思うのに、あまりにテンパッているのでまた同じ失敗をする。。。
それをあまりにも何度も繰り返して、もう本当にこのままではまずい!と思っているころ
次の4月が来た。同じ部署の、となりのビルに新人の女子が入ってきた。
この彼女が、めっちゃくちゃ優秀だった。
部署の集まりがあって、新入社員の挨拶があった。
その時の彼女の挨拶が、これがもう秀逸で、ちょっと笑いを取りながら、でも素晴らしく責任感のある抱負に満ちた挨拶を、笑顔で立派にスピーチした。
それを見て、後ろの席で先輩たちが「みぎわ、負けたな」と言っているのが聞こえた。
でもこの時私は不思議と、悔しい、とか、負けないぞ!とかいう感情を持たなかった。
申し訳ない…という今までのような気持ちにもならなかった。
不思議なのだけど、その時私は、よし、私は成長して、先輩たちによかった!と思っていただくぞ、という風に決意を心の中で固めていた。既に、自分は成長が遅くてトロい子で、彼女のような煌く賢さと順応性があるタイプではないと辛い一年を通じてとことん分かっていたから、比べられて辛いなんてことすら思わなかったのかもしれない。比べられて当たり前。だけど彼女みたいに才能あふれる人間と私は違う。でも、私は恩返しがしたい、だから、出来る人間になる!と決意した。
2年目が始まった。不思議なことが起きた。私は1年目より格段に仕事が出来るようになっていた。何が起きたのか全く分からない。今でもこれは、私の人生の中で最も不思議な瞬間だ。これまでずーーーーーーーっと出来なかったことが、突然できはじめる。謎すぎる!
私はこれまでもずっと、ちゃんと仕事をしたかったし、周囲の役にも立ちたかったし、泣いてばかりいたけれども観察はしていたから、組織の問題はちゃんとみえていた。正しい反省(失敗を振り返り、そこから学び、次に活かすこと)の重要性は身にしみていたので、作業の正確性が上がることによって、成長スピードが上がったのかもしれない。
もしくは、ただ単に時間が必要だったのかもしれない。私は、レポートの課題を1ヶ月前から書くようなタイプだった。精神的なプレッシャーに弱くて、完璧主義だったから、時間を掛けることで、そういう性格の自分に対応してきた。そのやり方が、週に2冊本が出る当時の「住宅情報」のペースには全く合っていなかった。レポートを1ヶ月かけて書き、難しいテストの勉強は半年前からやっていた子が、週に2冊の本を作る、秒単位で仕事を動かす部署で働く。この劇的な変化についていくのに、1年が必要だったのかもしれない。
とにかく、2年目からは何かがかわった。勿論2年目からもいっぱい迷惑をかけて、ミスをして、営業の先輩がそのせいで謝罪にいかなきゃいけないこともいっぱい合って、結局は周囲の先輩たちに守られて生きていたのだが、1年目とは全く違う毎日だった。そうして3年目、、、この頃には、部署でたくさん表彰していただいたり、自分でも貢献が出来るようにやっとなりはじめた!と思える感じになってきた。
その後私はITの部署に移動して、失敗する。全くもって理系の組織が性に合わなかったから。ITを使って実施する業務改革の重要性やシステム導入による変化の重要性にはとことん興味があったが、とにかく組織の雰囲気がぜんぜん合わなかった。辛かったな。この頃には、さすがにもう人前で泣くようなことは無くなっていたが、家ではよく辛くてないていたな。月曜日になると体調が悪くなったりもした。異動して最初の半年が終わった後ついた通信簿みたいなのの点数は、過去最低で、お給料が100万円以上下がった。(成果貢献給だったため。)このおかげで私は、世の中には「たくさん取る人」と「たくさん取った人がいるために、残りしかもらえない人」というのが居るんだ、ということを知る。これは勉強になった。
で、再度異動する。じゃらんへ。編集者になる。この時、みぎわさん、おいでよ。待ってるよ。イイ部署だよ。と言って私を誘ってくれたのは、あの、同じ部署に1年遅れで入ってきた才能あふれる後輩だった。彼女は私の1年前に、社内転職制度を利用してその部署に異動していて、のびのびと本当にやりたい仕事をしていた。で、私もおいかけて、その部署を受けて、合格。晴れて異動。人生どんな出会いが何を生むか本当に分からないなあと思う。
じゃらんでの仕事は本当に楽しかった。ここでも、異動直後は分からないことがいっぱいあって、同期や先輩にむっちゃくちゃ迷惑をかけながら色んなことを学んでいった。考えてみたら、じゃらんには1年半とか2年とかしか、私はいなかったらしい。短いなあ。でもそんなに短かかったとは思えない充実した日々だった。たくさんの今でも仲良しのお友達が、この時期に出来た。
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今私はもう、フリーランスの音楽家になってしまって「年度」なんてものは関係ない生活をしている。下手したら曜日とか月すら関係なくて、ただただ「シーズン」を生きている生活。
でも4月になって桜が咲いたり、銀座を通りかかったりすると思い出すのは、私を受け止めて、なんとか使える社会人に育ててやろうと、尻拭いしたり、叱ったり、飲みに連れて行ったり、カラオケに連れいったりしてくれた先輩たちのことだ。
このビルのトイレに駆けこんで、いつも泣いてたな、とか
ウイーンでAさんとクリームパフ食べたな、とか
カラオケでMさんにしがみついて号泣したな、とか
ここのラーメン屋でラーメン食べてる時に疲労で鼻血だして、それがラーメンに入って驚かれたな、とか
新人の頃のことは、仕事のことじゃなくて、そういうことばっかり思い出す。
部署のキックオフ(始業式)で表彰があって、私のすぐ後ろに座っていた黒い服でロングスカートの美人のお姉さんが表彰されていて、ものすごくかっこいい!!!と思ったら、その方が自分の先輩でびっくりしたな。まさかあとで教育担当になってもらえるとは夢にも思わなかったな、とか。
R子さんのお誕生日は、いつも豪華なランチを食べに行こう、と言って、勝手に昼休みを2時間くらいに延長して先輩たちと部署抜けだしてデザート付きのランチ、優雅に食べてたな!とか。
Oさんにいつも「わたし、みぎちゃんの口癖発見したの!『あっ、いいこと思いついた!』って。みぎちゃんいつも言うでしょ、かわいいのよね、それがw」って笑いながら言われたこととか。
ああどうして当時のことを思い出すと、こうもボロボロ泣いてしまうのか。
申し訳ないからか、ありがたいからか…その両方なのか…。
じゃらんでのことは、むしろ終わりのほうのことをいっぱい思い出す。
小松さんと長野県特集をやったけど、その後まさか小松さんが会社やめてOnE Drop cafe.を作るなんて。そしてそこで自分がピアノ演奏したりするようになるなんて。あの時は知らなかった。
たくさんのあったかい人に囲まれて、日本各地の良いところ・素敵なものをもっともっと紹介したいと張り切って働いていたなあ。
辞めることにした後、観光さんの集まりにいって挨拶をしようとしたら号泣してしまって、全然しゃべれなくて、結局ちゃんとスピーチできないまま終わったな(そういうところは今でも全く成長なし)
とか、とか、とか。
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私は今年9月から、ずっと一度住んでみたいと思っていたNYで暮らす。
明らかに、人生の新しい節目。
何が起こるんだろう。
何が起こるか分からない。
でもきっと、Rで勉強したことを下敷きにして、生きていくんだと思う。
びーびー泣いてばかり居る私に「ほら!もう、泣くのヤメなさい!鼻かんで!!!」とティッシュの箱を渡してくれている時、先輩たちはどう思っていたんだろう。
あの時かけた苦労の恩返しなんて、私には絶対できない。やってもやっても、返せないほどの分量なんだもの、ああもう本当に、嫌になってしまう!消しゴムで消したい…でもそれが出来ないんだよなあ人生は。。。その代わりに私が出来ることは、ちゃんと立派な人になって、教えてもらったことを無駄にせずに、自分より若い人たちに伝えていくことだろう。
私はRの先輩たちが私にしてくださったような勇気と愛のある行動をやれる人に育っていくんだろうか。毎日ずっと、そういう人でありたいと思って生きているけれども、果たしてちゃんとなれるだろうか。4月1日になると、そういうことを思い出すわけです。
それを今年は、節目の年なので書いておきたく、したためてみました。
4月からも、がんばります!